ウルトラシリーズ最大の問題作。上原正三の突き付けたメッセージの破壊力を40年後の今強く感じる。

【東京に原爆を落とす日】
「戦争っていうのは、運が悪いとか、天皇が悪いとかいうけれども、それだけじゃない。我々一人ひとりが起こしてるんですよ。そういう意味では、被害を被った沖縄人も、日本軍によって集団自決させられたというのは事実だけど、軍に命じられて村長が手榴弾を村人に渡した、いくら命令とはいえ、その行為は裁かれなくていいのか?我が子を抱きながらピンを引いた人たちに罪はないのか?と思うんですよ。そこまで断罪されないと戦争の本質的な部分は見えてこない。何で、『俺は嫌だ』って言う奴が誰もいなかったのか?」(上原正三談)
強い者に暴力で踏みにじられた時、弱い者は結局、負けてしまうしかないとしても、どうして最後の一人が殺されるまで抵抗し通さなかったのか?
力では負けても、心まで自分から負けてしまうことはなかったのではないか?
勿論、こんなことはいくら考えても、もう取り返しはつかない。
だが、いくら取り返しがつかないと分かっていても、人間が自分のプライドを取り戻す為には、この問いかけをし続けるしかない。
シナリオ・ライター/上原正三が至上とするものは、彼自身の生死を分けた戦争体験と無関係ではない。
1944(昭和19年)。
沖縄の日本軍は兵の食糧を確保するため、足手まといになる女・子供を疎開船に乗せ、米潜水艦と艦載機の待ち受ける600キロ以上の航海に無防備状態で放り出した。
それは疎開船の触雷によって、海路から機雷の脅威を減らすための「捨て石」という意味合いすらあったのだ。
そして、放り出された人々の中に幼い上原少年がいた。
小学二年の上原は、母と五人の兄弟と共に出港した際、船がシケにあい、西表島に避難する。
ちょうどその時、沖縄は運命の日・十月十日を迎えた。
述べ900機の米艦載機による大空襲、「鉄の暴風雨」に見まわれたのだ。
「船長に『どこに行くんですか?』って聞いても、分からない訳ですよ。東シナ海は荒いし、潜水艦に狙われるので、いつも蛇行している。家族全員、寝る時はお互いの手をひもで縛ってました。海に沈んでもバラバラにならないように」
ようやく鹿児島に入港、下船した直後、船は帰りに撃沈されてしまう。
上原が書いた、
「二大怪獣東京を襲撃」
「決戦!怪獣対MAT」
の前後編で、ツインテールとグドンの対決の場となり焦土と化す東京。
ウルトラマンも敗れ、防衛軍の長官は小型水爆に匹敵する兵器・スパイナーの使用を決意する。
東京を捨て石にして、日本全土を守ろうという作戦だ。(実際の映像で、原爆で廃墟になった広島をフラッシュ・バックさせている)
そして、東京中の疎開が始まる。
だが、主人公の郷秀樹の恋人であるアキは、怪獣出現の際に重傷を負い、動けない。
アキの兄、坂田(岸田森)は、MATの加藤隊長にこう語る。
「昭和20年3月、東京への空襲の時、私はまだ三歳でした。私の母はどうしても疎開するのが嫌で、空襲のたびに庭の防空壕に飛び込んで、この子だけは殺さないでくれと、空を飛ぶB29に祈ったそうです。私も疎開は好きじゃない…」
そう言い、坂田は妹と共に東京に残ることを決意する。
それを見たMATの加藤隊長は、「最後の決戦の機会を与えてくれ」と防衛軍長官に進言、「失敗したらMATは解散」という条件で許可をもらい出撃する。
大戦末期の日本は「一億火の玉」と口では言いながら、結局は沖縄や広島、長崎を捨て石にして本土決戦を避け、国体を守った。
ここで上原は現実にはそんな決断は有り得ないことを祈りつつ、大戦時に日本がやらなければならなかった行動を、MATに選ばせてみせたのだ。
日本軍は戦場でも、沖縄人を「土人」扱いして、自分達が助かる為に洞窟の避難壕から、住民を日本刀や、手榴弾で脅して追い出したり、欲求不満の解消として、「スパイ罪」と称して沖縄人を虐殺したりしているのにかかわらず、戦後は「軍民一体」で戦ったというフィクションを平然と並べてきた。
その「怨念」を上原はウルトラ・シリーズで、怪獣に託して現代に突きつけてきた。
「何で沖縄でのみ地上戦が行われたかといえば、沖縄が日本じゃないからですよ。戦後、日本のアメリカ軍の軍事基地の74%は沖縄にあるけれど、そんなこと日本人が本当に沖縄のことを日本だと思っていたら許しておくはずがないでしょう。あなたも含めて、沖縄が遠くにあるから自分達は安心だという日本人。東シナの海溝はやはり相当に深いと思います。」(上原談)
「帰ってきたウルトラマン」の一エピソード、
「怪獣使いと少年」は、リアルタイムで第二次ウルトラ・シリーズの洗礼を受けた世代の多くにとって、異様に生々しく、それを見た体験自体が、「嫌な記憶」としてトラウマにさえなっている。
いつもの回より沈んだ、淡いトーンの画面の中で、見るからに不潔な身なりの少年・良が、河原を毎日スコップで掘り続けている。
挙動不審な彼は「宇宙人」と呼ばれ、地元の中学生達から壮絶なイジメを受ける。
少年は中学生達に土の中に埋められ、頭の上から泥水をかけられたり、鍋で作っていた飯をひっくり返され、手の上から下駄で踏みつけられる。
少年が遂に怒って、涙を流しながらたいまつを振り上げると、一斉に逃げた中学生達は遠くから猛犬をけしかける。
良の家族は、まるで日本の戦後社会の歪みを一身に背負ったような形で崩壊していった。
北海道江差で暮らしていた彼は、炭鉱が閉鎖され職を失い東京に出稼ぎに出たまま蒸発した父親の面影を求めて、自らも東京に渡った。
そしてある老人と出会い、河原のバラックで父子のような共同生活を始める。
この老人の正体はメイツ星から地球の風土・気候を調べる為にやって来た宇宙人だった。
彼は「金山」と名乗り、工場街で働いている。
金山老人は工場街の汚れた空気で公害病を患ってしまい、地球に飛来した際に埋めた宇宙船を掘り起こす事が出来なくなってしまった。
良少年は老人に代わってスコップで宇宙船を探していたのだ。
金山老人は、その苗字から、すぐに在日朝鮮人を連想させる。
それに川崎の河原といえば、朝鮮人工場労働者の部落があるところだ。
クライマックスで、宇宙人の恐怖にかられた町の人々が、集団で河原に押しかけ、少年を殺そうとする。
ウルトラマンである、MATの郷秀樹が制止しようとするが、「MATは宇宙人の味方をするのか!」と、群集心理はエスカレートするばかり。
金山老人は耐えきれず、遂に「宇宙人は私だ」と名乗りを上げてしまう。
その老人を警官が撃ち殺す。
「あの場面は一度撮った後にリテイクしました。最初は民衆が竹槍で老人を刺し殺していた。もっと残忍だったんです。TBSの橋本洋二プロデューサーが、『これでは商品として受け取るわけにはいかない』と言うのです」(監督・東條昭平談)
第二次ウルトラ・シリーズを支えた、さしものドラマ重視の橋本ですら、たじろがせる内容だったのだ。
「僕の中では、関東大震災で『朝鮮人がデマの中で虐殺されたという事実』はいつも頭の中にあって、人の中には、何時そういう風に変わるか判らない面がある。そういうことをストーリーに出来ないか。穴を掘っている少年がいて、周囲の反応がだんだん凶暴になっていく。一つの噂が他の噂を呼んで、最後にはどうにもならなくなると言う話が組み立てられないか?と思っていました」(上原談)
実際には、鶴見・川崎には朝鮮人だけではなく、沖縄人の部落もある。
そこには今でも、二万人近い沖縄人と朝鮮人が住んでいる。
日本帝国支配下の朝鮮と同じく、「琉球処分」後の沖縄でも、食いつめた人々は日本本土に働きに出なければならなかった。
最初は良少年の父親のように炭鉱に、その後は京浜や阪神の工業地帯に移り住んで、日本の高度成長期を陰で支えた。
そこでは様々な世代の移民が、集落を作り、身を寄せ合って暮らしていた。
沖縄人も朝鮮人と同じく、出身がバレると銀行に金を貸してもらえず、アパートの入居も断られた。
異質な言語で語り合う移民たちの姿は周囲の日本人から偏見の目で見られた。
デマに乗せられて暴徒と化した日本人が、河原の沖縄人部落を襲い、何人もが殺されるという事件さえあった。
「怪獣使いと少年」の設定は、そうした現実を背景にしている―というより、そのまま剥き出しになっていると言っていい。
そして全く、何の救いもないまま、物語は終わる。
この作品はとにかく衝撃的だった。
民族差別に怒りを覚えたとか、少年がかわいそうという以前に、「日本にはこういうひどいことがあるんだ…」という、そのことが何より衝撃的だった。
そして現代の日本でも、政治家を含め、本当に多くの人々がこの事実に目を背け、真実と向き合おうとすらしない。
「『怪獣使いと少年』は『ウルトラQ』の途中から助監督をしていた僕のウルトラでの監督デビュー作です。テストとして一本だけチャンスが与えられた。『東條の為に一肌脱ごう』と上原さんが書いてくれました。僕は当時、三十代前半で燃えている時代というか、我々は安保世代ですから、口に出してはいけないものも、表現の形を借りて出してしまおうという姿勢があった。やはり、今振り返れば時代の空気の中に居たと思います。『怪獣使いと少年』を撮った時だって、『もう明日はない』くらいの気持ちで、とにかく変わったことでも、何でもいいからやりたかった。演出的にも、豪雨のシーンなんかは雨を降らせながら撮って、制作日数も普段より大幅にオーバーしてます」(東條談)
東條の若い情熱が上原の生々しい部分を挑発したのだろうか?
この作品は内部試写の際、テレビ局の上層部から猛反発を食らったという。
先の竹槍の場面の他にも、少年が石を投げつけられる件(予告編に登場)などもカットされた。
シナリオ段階での変更ならともかく、一度撮って完成したものをリテイクするというのは、たとえ監督から希望したとしても許されることではない。
それほど、この作品は局内で問題になったことを示している。
実際、「帰ってきたウルトラマン」を第一話からメイン・ライターとして書いてきた上原の担当本数はこの後、激減する。
1958年、ペリーの黒船が長崎に来港する前に、那覇港に来て以来、アメリカは沖縄をアジア進出の拠点として重要視した。
そして戦後の占領期も軍政を敷き、日本を監視して、朝鮮とベトナムに爆撃機を送り込んだ。
主権を奪われた沖縄の人間には、「戦後民主主義」など有り得なかった。
上原正三にとってそれは、「返還」の名の下、沖縄が日本の「植民地」に戻った今でも変わらない。
「結局、人は殺し合って滅びていくんじゃないかという予感はありますね。沖縄は今も平和じゃないです。アメリカ軍の精鋭部隊が常駐しているわけでしょう。冷戦が終わって、テロの時代になり、東アジアの状況は、いつ核の脅威に晒されるか判らない。今度戦争がアジアで起きれば、アメリカ軍の不沈空母の役割を担っている沖縄は全滅させられるかもしれない」
民家に飛び込んでくるアメリカ軍の流れ弾。
貨物船や漁船の甲板に落ちてくる爆弾…
沖縄は今でも「戦場」なのだ。
http://m.youtube.com/watch?client=mv-google&gl=JP&hl=ja&v=0vrBAn3AYC0
正義を信じず、常に少数者の側、怪獣の側に身を置く上原正三にとって、正義の味方・ウルトラマンはどんな存在だったのだろう。
「怪獣使いと少年」のラスト近く、金山老人が住民から虐殺されと、彼によって封じ込められていた怪獣ムルチが出現し、暴れ始める。
それを見た郷秀樹は闘おうとせず立ち尽くす。
住民「MAT、何をしてるんだ、怪獣を退治しろ!」
郷「勝手なことを言うな。怪獣をおびき出したのはあんた達だ!おお、まるで金山さんの怒りがのり移ったようだ…」
ここでは、怪獣に乗り移る迫害された者の怒りに、それを倒す側であるはずのヒーローの精神が同化してしまってるのだ。
この記事へのコメント
いくらなんでもこれは酷すぎだろうがクソサヨ。
しかし、
それは疎開船の触雷によって、海路から機雷の脅威を減らすための「捨て石」という意味合いすらあったのだ。
なんて、いくらなんでも本気で主張してるとも思えん。
バカを騙して自分たちの側に付けようという企みしか見えてこない(「企む」それがサヨクの本質だし)。
あんた、戦争を知らんから言えるんだ。
当時の日本軍がどうだったのか。
綺麗事を並べて必死に美化しようとしても、
肌で感じた物なら分かる。
空船でいいし、そもそも何万もある機雷を疎開船で1つ除去したからとて、どうなると言うのか。
馬鹿馬鹿しい。
なぜこの国のサヨクはネトウヨなみのバカしかいないのか。だから日本では左翼は信用されないのだ。
著者も怒ってらっしゃいます。
注文しました。引き続き調べたいと思います。
https://twitter.com/risaku/status/599904354670280705
ウルトラシリーズのファンの一人として、ツグトヨさんには誠意ある対応をお願いしたいです。
ガジェット通信というウェブニュース媒体を運営しております編集部の寄稿チームと申します。
http://56849833.at.webry.info/201305/article_1.html
こちらの記事を弊社媒体に寄稿記事として掲載させていただきたくご連絡申し上げました。
お手数かとは存じますが、詳細をお伝えしたく、ガジェット通信編集部(kiko at razil.jp)まで一度ご連絡いただければ幸いに存じます。 何卒ご検討のほどよろしくお願い申し上げます。
この記事を構成する文章の少なくともほとんどが、上記著作中にありました。元本から切り取った文章を並べ替え、つなぎ合わせた、と考えるのが自然だと思います。
元本は、上原正三だけでもより広く、深く扱い、その他の脚本家たちについても熟考された、力作です。
戦争は国民の責任だと反省しつつも上原正三さんの言葉はさらに重く感じました。弱さに屈する罪。さんざんネタにしているツインテールの話でここまでのメッセージ性のあるストーリーだとしり、なお一層この話が好きになりました。