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zoom RSS アルコールでも、ドラッグでも、女性でも、友人でもなく、彼の生き様を変えたのは、子供の死だった。

<<   作成日時 : 2013/01/15 13:03   >>

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『ティアーズ・イン・ヘブン/エリック・クラプトン』

この美しい曲はエリック・クラプトンとイタリア女優ロリ・デル・サントとの間に生まれた4歳半の少年コナー・クラプトンに捧げた曲であることは衆知の事実です。

1991年3月20日午前11時、エリック・クラプトンの46歳の誕生日の10日前、ニュー・ヨークの53階のアパートの窓からコナー少年は落下し、死亡しました。

クラプトンとデル・サントは結婚はしていなかったのですが、当時、二人が会うために彼女はイタリアからこのアパートに、一方、クラプトンは近くのホテルに滞在していたのでした。

ハウスキーパーの男性が、部屋の掃除を終えて換気のために窓を開けておいたところ、走ってきたコナーが誤って(120×180センチ)の窓から落ちてしまったのです。

ニュー・ヨークの建設基準法では3軒以上のテナントが入っているアパートは窓にガードがなくてはいけないけれど、コンドミニアム(マンション)はこれが免除されているらしく、コナー君らの住んでいたアパートには窓にガードがなかったのです。

この悲劇的な事故を知った多くのファンが、クラプトンが以前のように重度のヘロイン中毒に陥ってしまったり、アルコール依存症を悪化させて、今度こそ死んでしまうか、廃人になってしまうことを確信していたと思います。

しかし、彼はしばらく部屋に閉じこもっていた後、身近にあったナイロン・ギターで、三曲を作りました。

その一曲が、
「ティアーズ・イン・へヴン」

その後のニュー・アルバム『ピルグリム』に収録された二曲。

「ザ・サーカス・レフト・タウン」(これは事故の前日に二人で見に行ったサーカスをテーマにした曲です)

「マイ・ファザーズ・アイ」(クラプトンと彼の父親、そしてコナー君との関係を歌っているようです)


言葉で書くのは簡単ですが、子供を持つ親の心情を考えると
これはとても大きな壁を乗り越えたことです。

息子の死が、あれだけギタリストとして神格化されながら、麻薬や酒や女に溺れていた精神的に危ういクラプトンを、強く健気に、生まれ変わらせたのは悲しい現実です。

この曲は2003年の日本公演以降のライヴで封印されています。

「あの当時のような喪失感が、もう無くなった」と、クラプトン自身が答えています。

『ティアーズ・イン・へヴン/エリック・クラプトン』

もしも、お父さんが天国で
お前に逢ったなら
誰だか分かるのだろうか?

もしも、お父さんが天国で
お前に逢ったなら
これまでと同じだろうか?

これから、お父さんは強くならなければならないね
そう、生き続けなければいけないね

分かってるんだよ
お父さんは天国にいれるような人ではないことを


もしも、お父さんが天国で
お前に逢ったなら
手を握ってくれるかい?

もしも、お父さんが天国で
お前に逢ったなら
お父さんが立っていられるように支えてくれるのかい?

夜も昼もずっと、お父さんは
自分の生きる道を見つけよう

知ってるんだよ
お父さんは天国にいれるような人ではないとを

時には、落ちこむだろう
時には、ひざまずきたくもなるだろう
時には、心が張り裂けるだろう

お父さんを許してくれるのかい
どうか、お許し下さい…


その扉の向こうの向こうに
安らぎがあるよ
きっと、そう思う

そして、お父さんは知っているよ
もう天国に 涙がいらないことを


もしも、お父さんが天国で
お前に逢ったなら
誰か分かるのだろうか?

もしも、お父さんが天国で
お前に逢ったなら
これまでと同じだろうか?

これから、お父さんは強くならなければならないね
そう、生き続けなければいけないね

知ってるんだよ
お父さんは天国にいれるような人ではないことを


http://m.youtube.com/watch?client=mv-google&gl=JP&hl=ja&feature=related&rl=yes&v=tLJsQOMq2-g
(documentario sulla morte del figlio di eric clapton e lory del santo,conor.documentary about conor clapton's death on ABC news.)

http://m.youtube.com/watch?v=JxPj3GAYYZ0
(Eric Clapton - Tears In Heaven )

―――――→

『パティ・ボイドとイヴォンヌ・ケリーとロリ・デル・サント』

1979年、長年連れ添ったパティ・ボイドど挙式を上げた。

表面上はロック界きっての華やかなカップルに見えたが、実際は争いが絶えなかった。

クラプトンの女性関係も相変わらず酷かったらしく、1984年に彼はイボンヌ・ケリーと一年に渡って関係を持ち、1985年の1月に彼女との間に娘のルースが産まれる。

クラプトンとケリーは娘の誕生について一切公表しておらず、1991年に行われたクラプトンの息子のコナーの葬式まで、彼の子供と明かされなかった。

「最も傷ついたのはエリックが最初から子供のことを知っていたこと。彼は私への愛がまだあると復縁を迫っていた一方で、イボンヌに養育費を六年にも渡って支払っていたの。」(パティ・ボイド)

ボイドはクラプトンのアルコール依存症と、結婚前から始まっていた幾度もの情事を数年間耐えた上で、彼と離婚したと語っている。

結局、クラプトンのイタリア人モデルのロリ・デル・サントとの浮気が決め手となり、クラプトンとボイドは1989年に離婚した。

ロリ・デル・サントは1986年にコナーを出産していた。


――――→

自分の分身である子供を不慮の事故で失う痛みを、第三者が100%理解することは不可能な話です。

しかし、その果て無い喪失感のほんの一部を共有することができれば、もしかしたら悩める魂を救うきっかけになるのかもしれません。

特に、その深い悲しみをアーティストが歌にした時には。

息子コナー君が、ニューヨークのコンドミニアムの53階から外へと落下して死亡した事故は、多くの人々の胸に驚きと現実の残酷さを刻みつけました。

その事故が起きたのは1991年3月20日のことで、コナーくんの享年は4歳でした。

クラプトンは、パティ・ボイドとの結婚生活に終止符を打つ過程で女優のロリー・デル・サントと付き合い始め、彼女との間にできた子供がコナー君でした。

彼がどれほどコナーくんを愛していたかは、1986年にリリースしたアルバム「オーガスト」が、コナーくんの誕生月をタイトルにしたことからも伺い知れます。

この事故の後、クラプトンは作詞家のウィル・ジェニングスと映画「ラッシュ」のエンディングテーマを作曲する作業を始めていました。

その結果2人は「ヘルプ・ミー・アップ」を仕上げますが、これを終えた後にクラプトンが「自分の息子のことを歌った曲を作りたい」とジェニングスに告げるんですね。

クラプトンは、歌詞の最初の部分を自分で書いていたので、ジェニングスは、
「最後まで1人で書くのだろうと思った。だけど、クラプトンは残りを僕に書いて欲しいと言ったんだ」
という流れのままに、中サビにあたる箇所の作詞をしています。

ジェニングスは、
「でも、彼に言ったんだよ。この曲はとても個人的なものになっている。だから、全部自分の手で書くべきだ、って」
という、割り切れない思いを抱いてもいたようですが、ブラインド・フェイス時代の僚友スティーブ・ウィンウッドのソロ活動でその作詞を担当したジェニングスの仕事ぶりをクラプトンは高く評価しており、ジェニングスはその声に押し切られるんですね。

ジェニングスは、
「この曲ほど個人的な事情と悲しみを取り込んだものは、私の作詞活動の中で経験したことはなかった」
と振り返っています。

この曲はメロディもさることながら、歌詞に漂う悲哀が今もリスナーの心を揺さ振ります。

その大きな理由の一つが、仮定法過去で綴られている点で、これは「実現する可能性がないことがわかっていながら、それでも敢えてもしそうだったらと考えずにはいられない。」というニュアンスだからなんですね。

つまり、クラプトンが天国に召されても、そこで会うことはないと悟っている、これが涙を誘います。

そしてもう一つ、この曲を理解する上で外せない点として、キリスト教の死生観があります。

我々、日本人の場合、「あの世へ行ったとしてもこの世と同じ姿形で記憶もそのまま」という感じになりますが、
キリスト教の場合は「神に召された後の魂は全く別のものになってしまう」とされています。

クラプトンが
「私の名前を覚えていてくれるだろうか?」
「私を支えてくれるだろうか?」
とコナー君に呼びかける姿は、『例え、神の教えに背いてでも訴えずにはいられない』という心情を浮き彫りにしているんですね。

それしても、こんなに悲しいヒット曲は他に存在しないのではないでしょうか。

――――→

「エリック・クラプトンの生い立ち」

エリック・クラプトンは1945年にイギリスのリプリーという街で生まれました。
父親はカナダ軍の兵士で、すでにカナダで家庭を持っていました。

母親はまだ16歳と言う若さで、その後に別の男性とドイツで結婚してしまいましたから、母の母(祖母)に引き取られたようです。

その祖母の再婚相手(義理の祖父)との子供として育てられると言う複雑な家庭環境でした。

『子供の頃、周りの友達の親を見ていると不思議だった。何で僕の親だけが、こんなに歳を取ってるのかってね。10〜11歳くらいの時、事の真相を聞かされて、とてもショックだったよ。あれから今まで、自分っていうものが何なのか分からなくなってしまったんだ。』
エリック・クラプトン


http://plz.rakuten.co.jp/sumiko030326?act=view&d_date=2007-12-03&d_seq=0000

http://pingpongkingkong.blog108.fc2.com/blog-entry-140.html

「その後のクラプトン」


私生活でも2002年に、31歳年下の女性メリア・マッケナリー(グラフィック・アーティスト)と結婚し、その奥さんとの間に三人の娘が生まれました(これで子供は長女ルースちゃんと長男コナー君を合わせると5人です)。

最近はツアー先にもパソコンを持ち込み、ウェブカメラで毎日娘と話すなどの子煩悩ぶりを見せて、とても幸せそうです。

05年のアルバム『Back Home』では、アルバムジャケットの中にこんな写真も。

http://www.google.com/gwt/x?client=ms-kddi-gws-jp&gl=JP&wsc=tb&source=sg&u=http://narapenguin.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_2a6/narapenguin/CIMG1973.JPG%3Fc%3Da0&ei=JtrvUMSMI4edkgXCroD4BQ

エリックは04年のツアーを最後に「Tears in Heaven」を封印し、その後は一度も歌っていません。

同時期に作った別の曲、「My Father's Eyes」も同じように封印しました。

これはエリックが自分の心に整理をつけ、人生の新たなステージへと向かったことを意味しているように思えます。

「サーカス・レフト・タウン/エリック・クラプトン」

火に目を向けてる小さな男
明るく笑っている
手にはおもちゃ
喜ばせようとして
与えたおもちゃ

リングに立つピエロは
ナイフをかかげている
お前が見たり聞いたりすることは
ずっと残っているだろう
これから生きている間

悲しい 悲しい
やりきれない
悲しい 悲しい
友達がみんな集まっている
サーカスが町を去るから


心が純粋な小さな男は
素直な愛を持っている
お父さんにしがみつきなさい
一緒に乗っていこうよ
道の終わりまで

お父さんの手を握りなさい
一緒に歩いて行くから
どんなに暗い夜だって

私が微笑むときは
お前のことを考えよう
そうすればちょっとしたことは
何だって許せるようになるだろう

サーカスが町を去った
町を去った

サーカスが町を去った
町を去った…

http://m.youtube.com/watch?client=mv-google&gl=JP&hl=ja&v=veGF9Vjo_IE

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